

建物は影響力のある存在 誰かのためになったらいい
千葉 絢子 さん
ちば じゅんこ
建築設計事務所に勤務した後、二〇一六年に独立。 一級建築士事務所『アトリエ素と』代表。『ギャラリー事と』オーナー。
#建築士
#建築設計事務所
#ギャラリー運営
#癒されるアートの場づくり
2016年にスタートした千葉絢子さんの一級建築士事務所『アトリエ素と』と、夫妻で運営する『ギャラリー事と』。2024年に同じ三刀屋地区の古民家へ場所を移してリスタートした。「クライアントのニーズや暮らしの中にあるありのままの状態、素朴、簡素さの『素』を大切にする仕事をしていきたいと思って、その言葉を事務所名に入れました。そして、この場所からいろいろな『事』を起こしていきたいという思いをギャラリー名に込めたんです」
印象は自然体で柔らかい人……だが、これまで関わった建築を知ると、バリバリの仕事人、いわゆる『バリキャリ』に一変する。
絢子さんが関わった建築は『荒神谷博物館』『大東保育園』『島根県立古代出雲歴史博物館』『道の駅 たたらば壱番地』から集合住宅、個人住宅、店舗など多種多様だ。
「建築は一人では建てられません。建築をデザインするには、その建物に必要とされる安全性を満たす構造設計、配管などをどこに入れるか考える設備設計の人に加えて、新しいサッシを入れるならサッシメーカーの人とも話をしないといけない。一つの建物を考える時点で多くの人と関わり、そのすべての人の考えや安全性、機能性を取り入れ、整合性をとってデザインしていく、というのが設計の仕事です。ひたすら調整していく作業が続くようなものなんですよね」
しかも、設計図は一枚ではない。平面図や断面図、窓枠のつきかたや寸法がわかるような部分拡大図など、何枚も必要になる。絢子さんは第一印象通りの柔らかさで多くの人の考えを取り入れて、形にしてこられたのだろうか。

絢子さんが建築を目指そうと思ったのは、中学3年生の時だった。
「進路を決める頃、両親からうちは子ども全員を大学に入れることはできないかもしれないから、ちゃんと将来を考えなさいって言われて。私は物を作ったり、人と関わったりする仕事がいいなと思っていて、実家を建て直すところを見たこともあって、建築の分野に進みたいと思ったんです。建築の道に進むには高校卒業後に専門の学校へ行くより、建築学科のある高等専門学校(高専)に進む方が最短だろうと思って決めました」
当時、建築学科のある高専は島根県内にはなかったため、絢子さんは鳥取県内の高専に進学。中学卒業後、高専の女子学生向けのアパート(六畳一間でトイレとキッチンは共同)で生活した。
「建築は構造計算とか、現場監督とかインテリアとか色々な分野があるので、勉強する中で方向を変えていく人もいますが、私は入学前から思っていた、お客さんと話しながら一緒に建築デザインを考えていきたいという希望を変えることはありませんでした」
卒業後(高専は5年制)は松江にある建築設計事務所に就職。
「ご夫婦で主宰する建築設計事務所で、ボスである旦那さんが高専の非常勤講師をされていて、私はボスの仕事のポリシーに魅力を感じて時々事務所に遊びに行ったり、就職の相談をしたりしていたんです。当初、他の設計事務所に就職する予定だったんですけど、卒業間際にそこが経営難のため新卒は雇えないってなってしまい、ボスが『うちにおいで』って言ってくださったんです。半月ぐらいお試しで働いて、そのまま就職しました」
そこは建築の設計だけでなく、都市計画やまちづくりに関わる仕事もする事務所だった。
「住民アンケートをとったり、町の様子を知るために植栽や蔵がいくつあるか調べたり。老朽化した家が集まるエリアの住民の方一人ひとりから話を聞いて、一つの大きいビルにしてみんなで一緒に暮らしませんか。こういう建物はどうでしょう? と提案したり。
建物の設計をする時は使う人の意見をちゃんと聞いて、それを活かした建物にしようねっていうポリシーのある会社だったんですよね。そのポリシーが好きで、独立した今も意識しています」



建物は影響力のある存在 誰かのためになったらいい
千葉 絢子 さん
ちば じゅんこ
建築設計事務所に勤務した後、二〇一六年に独立。 一級建築士事務所『アトリエ素と』代表。『ギャラリー事と』オーナー。
#建築士
#建築設計事務所
#ギャラリー運営
#癒されるアートの場づくり
2016年にスタートした千葉絢子さんの一級建築士事務所『アトリエ素と』と、夫妻で運営する『ギャラリー事と』。2024年に同じ三刀屋地区の古民家へ場所を移してリスタートした。「クライアントのニーズや暮らしの中にあるありのままの状態、素朴、簡素さの『素』を大切にする仕事をしていきたいと思って、その言葉を事務所名に入れました。そして、この場所からいろいろな『事』を起こしていきたいという思いをギャラリー名に込めたんです」
印象は自然体で柔らかい人……だが、これまで関わった建築を知ると、バリバリの仕事人、いわゆる『バリキャリ』に一変する。
絢子さんが関わった建築は『荒神谷博物館』『大東保育園』『島根県立古代出雲歴史博物館』『道の駅 たたらば壱番地』から集合住宅、個人住宅、店舗など多種多様だ。
「建築は一人では建てられません。建築をデザインするには、その建物に必要とされる安全性を満たす構造設計、配管などをどこに入れるか考える設備設計の人に加えて、新しいサッシを入れるならサッシメーカーの人とも話をしないといけない。一つの建物を考える時点で多くの人と関わり、そのすべての人の考えや安全性、機能性を取り入れ、整合性をとってデザインしていく、というのが設計の仕事です。ひたすら調整していく作業が続くようなものなんですよね」
しかも、設計図は一枚ではない。平面図や断面図、窓枠のつきかたや寸法がわかるような部分拡大図など、何枚も必要になる。絢子さんは第一印象通りの柔らかさで多くの人の考えを取り入れて、形にしてこられたのだろうか。

絢子さんが建築を目指そうと思ったのは、中学3年生の時だった。
「進路を決める頃、両親からうちは子ども全員を大学に入れることはできないかもしれないから、ちゃんと将来を考えなさいって言われて。私は物を作ったり、人と関わったりする仕事がいいなと思っていて、実家を建て直すところを見たこともあって、建築の分野に進みたいと思ったんです。建築の道に進むには高校卒業後に専門の学校へ行くより、建築学科のある高等専門学校(高専)に進む方が最短だろうと思って決めました」
当時、建築学科のある高専は島根県内にはなかったため、絢子さんは鳥取県内の高専に進学。中学卒業後、高専の女子学生向けのアパート(六畳一間でトイレとキッチンは共同)で生活した。
「建築は構造計算とか、現場監督とかインテリアとか色々な分野があるので、勉強する中で方向を変えていく人もいますが、私は入学前から思っていた、お客さんと話しながら一緒に建築デザインを考えていきたいという希望を変えることはありませんでした」
卒業後(高専は5年制)は松江にある建築設計事務所に就職。
「ご夫婦で主宰する建築設計事務所で、ボスである旦那さんが高専の非常勤講師をされていて、私はボスの仕事のポリシーに魅力を感じて時々事務所に遊びに行ったり、就職の相談をしたりしていたんです。当初、他の設計事務所に就職する予定だったんですけど、卒業間際にそこが経営難のため新卒は雇えないってなってしまい、ボスが『うちにおいで』って言ってくださったんです。半月ぐらいお試しで働いて、そのまま就職しました」
そこは建築の設計だけでなく、都市計画やまちづくりに関わる仕事もする事務所だった。
「住民アンケートをとったり、町の様子を知るために植栽や蔵がいくつあるか調べたり。老朽化した家が集まるエリアの住民の方一人ひとりから話を聞いて、一つの大きいビルにしてみんなで一緒に暮らしませんか。こういう建物はどうでしょう? と提案したり。
建物の設計をする時は使う人の意見をちゃんと聞いて、それを活かした建物にしようねっていうポリシーのある会社だったんですよね。そのポリシーが好きで、独立した今も意識しています」



建物は影響力のある存在 誰かのためになったらいい
千葉 絢子 さん
ちば じゅんこ
建築設計事務所に勤務した後、二〇一六年に独立。 一級建築士事務所『アトリエ素と』代表。『ギャラリー事と』オーナー。
#建築士
#建築設計事務所
#ギャラリー運営
#癒されるアートの場づくり
2016年にスタートした千葉絢子さんの一級建築士事務所『アトリエ素と』と、夫妻で運営する『ギャラリー事と』。2024年に同じ三刀屋地区の古民家へ場所を移してリスタートした。「クライアントのニーズや暮らしの中にあるありのままの状態、素朴、簡素さの『素』を大切にする仕事をしていきたいと思って、その言葉を事務所名に入れました。そして、この場所からいろいろな『事』を起こしていきたいという思いをギャラリー名に込めたんです」
印象は自然体で柔らかい人……だが、これまで関わった建築を知ると、バリバリの仕事人、いわゆる『バリキャリ』に一変する。
絢子さんが関わった建築は『荒神谷博物館』『大東保育園』『島根県立古代出雲歴史博物館』『道の駅 たたらば壱番地』から集合住宅、個人住宅、店舗など多種多様だ。
「建築は一人では建てられません。建築をデザインするには、その建物に必要とされる安全性を満たす構造設計、配管などをどこに入れるか考える設備設計の人に加えて、新しいサッシを入れるならサッシメーカーの人とも話をしないといけない。一つの建物を考える時点で多くの人と関わり、そのすべての人の考えや安全性、機能性を取り入れ、整合性をとってデザインしていく、というのが設計の仕事です。ひたすら調整していく作業が続くようなものなんですよね」
しかも、設計図は一枚ではない。平面図や断面図、窓枠のつきかたや寸法がわかるような部分拡大図など、何枚も必要になる。絢子さんは第一印象通りの柔らかさで多くの人の考えを取り入れて、形にしてこられたのだろうか。

絢子さんが建築を目指そうと思ったのは、中学3年生の時だった。
「進路を決める頃、両親からうちは子ども全員を大学に入れることはできないかもしれないから、ちゃんと将来を考えなさいって言われて。私は物を作ったり、人と関わったりする仕事がいいなと思っていて、実家を建て直すところを見たこともあって、建築の分野に進みたいと思ったんです。建築の道に進むには高校卒業後に専門の学校へ行くより、建築学科のある高等専門学校(高専)に進む方が最短だろうと思って決めました」
当時、建築学科のある高専は島根県内にはなかったため、絢子さんは鳥取県内の高専に進学。中学卒業後、高専の女子学生向けのアパート(六畳一間でトイレとキッチンは共同)で生活した。
「建築は構造計算とか、現場監督とかインテリアとか色々な分野があるので、勉強する中で方向を変えていく人もいますが、私は入学前から思っていた、お客さんと話しながら一緒に建築デザインを考えていきたいという希望を変えることはありませんでした」
卒業後(高専は5年制)は松江にある建築設計事務所に就職。
「ご夫婦で主宰する建築設計事務所で、ボスである旦那さんが高専の非常勤講師をされていて、私はボスの仕事のポリシーに魅力を感じて時々事務所に遊びに行ったり、就職の相談をしたりしていたんです。当初、他の設計事務所に就職する予定だったんですけど、卒業間際にそこが経営難のため新卒は雇えないってなってしまい、ボスが『うちにおいで』って言ってくださったんです。半月ぐらいお試しで働いて、そのまま就職しました」
そこは建築の設計だけでなく、都市計画やまちづくりに関わる仕事もする事務所だった。
「住民アンケートをとったり、町の様子を知るために植栽や蔵がいくつあるか調べたり。老朽化した家が集まるエリアの住民の方一人ひとりから話を聞いて、一つの大きいビルにしてみんなで一緒に暮らしませんか。こういう建物はどうでしょう? と提案したり。
建物の設計をする時は使う人の意見をちゃんと聞いて、それを活かした建物にしようねっていうポリシーのある会社だったんですよね。そのポリシーが好きで、独立した今も意識しています」

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建物は影響力のある存在 誰かのためになったらいい
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